西安

西安は中国七つの古都の一つである。
紀元前1126年から、西周、秦、西漢、隋、唐など十二朝が都にし、1152年間が経った。長安とも名付けられた。
現在、陜西省の省都である。
西安は中国関中平原の中部にあり、北は渭河に臨み、南に秦嶺を背す。
温帯大陸性季節風気候に属し、四季がはっきりしており、冬、夏が長く、全年東北風が多い。年平均気温は13.3度である。
西安の文化財と古跡の数量、密度、多さとレベルの高さは中国の一である。
国家文化財と省文化財に指定された物が84カ所があり、古代遺跡、古墓が4000個以上ある。
最も著名なのは、「世界第八奇跡」といわれている秦始皇帝陵の兵馬俑、保存完璧の明代城壁、
及び周の都豊鎬、秦の阿房宮、漢の長安城、唐の大明宮の四つの遺跡で、国連の世界文化遺産に指定されている。
西安とその周辺には、初期氏族社会から唐までの各歴史時期の遺跡が散在しており、中国古代社会の天然歴史博物館とも称される。
また、碑林、大雁塔、小雁塔、華清池等も欠かせない観光名勝である。

最適な観光シーズン

5月〜6月中旬 9〜10月西安の冬は寒く、夏は熱い。上の期間中では9月以外、雨が少ない。
秋の西安は名物のザクロがお薦め。

兵馬俑

 

これは始皇帝の副葬品として作られたものと見られている。

1974年に、井戸掘りの作業中に偶然発見された。

第一兵馬俑坑東西の長さは210メートル、南北の長さは60メートルで、深さは5、6メートルである。

死後の始皇帝を守るため作られた高さ2メートルの石像兵士数千体の表情はすべて違う。

その後の20年間で、第2、3号兵馬俑坑が続けて発見された。兵馬俑は世界八大奇跡の一つといわれている。 

秦始皇帝陵

始皇帝の墓は陝西省臨潼県から東側に5キロ離れたところにある。

墓の東西の長さは485メートル、南北の長さは515メートルで、高さは76メートルがあり、

小山に見られるほどの世界最大の墓といわれる。「史記」の記載によると、

始皇帝は13才で即位、その後すぐ墓の営造が始まった。

墓を作るため、延べ70万人の刑徒を使い、約40年間をかけて作られた。

また、盗掘を防ぐため、様々な仕掛けをされている。

伝説によると、秦が項羽に滅ぼされ、項羽の部下英布は始皇帝の墓を発掘、中の財宝を奪った。

しかし、始皇帝の棺を見つけられなかった。これは今も謎のままである。

黄帝陵 

黄帝陵

黄帝陵

黄帝陵は陜西省黄陵県の北に一キロ離れた所の橋山の嶺にある。天下第一陵と称される。
1961年に全国重点文化財、古墓第一号に指定された。
黄陵県橋山周辺には、黄帝東宮、西宮、黄城宮、螺祖養蚕等の遺跡がある。
軒轅廟に黄帝が自ら植えた「柏」があり、太さは七人の大人が両腕を広げても届かないほどだ。
イギリスの農林専門家に「世界の柏の父」と命名された。

大雁塔

大雁塔は西安のシンボルであり、慈恩寺にある。「西遊記」の主人公三蔵法師は数年間をかけて、
インドから数百部の仏教の経典を持ち帰り、翻訳して、それを納めるために、塔を建てた。
三蔵法師自身も慈恩寺に圓寂した。最初建てられた塔は5階建てであり、
武則天時代に10階建てになったが、戦争中に焼かれ、後に7階建てとして再建され、今に至る。

華清池

華清池唐の玄宗皇帝は楊玉環を貴妃として迎え、華清宮を建て、温泉も作り、二人はここを別宮として暮らしていた。
当時楊貴妃が入浴していた温泉はそのまま残っていて、観光の名勝になっている。
現在の建物は西太后時代に再建られたものである。

西安名物としては、餃子、ザクロなどがある。黄帝陵司馬遷の「史記」に「黄帝が崩れ、橋山に葬す。」の記載がある。

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