南京市

南京は中国七つの古都のひとつである。
戦国時代は、楚国に金陵邑として設置され、のちに三国の呉、東晋、六朝、五代、明、太平天国、中華民国の各代の都になった。
金陵、建業、建康とも名付けられた。現在、江蘇省の省都である。
南京は揚子江の南にあり、亜熱帯の半湿潤季節風気候に属し、四季がはっきりしている。
春、夏の転換期に梅雨がある。また、南京は盆地であるため、夏がとても暑くなる。
気温は1月-2度〜-4度、7月26度〜29度である。

南京には文化古跡が集中しており、新石器時代の古文化遺跡が数カ所がある。
その他、三国時代に作られた石頭城遺跡、南朝帝王の墓、明代朱元璋の墓--明孝陵、夫子廟、秦淮風景、貢院、中山陵、明故宮遺跡等がある。 

南京名物として、板鴨、塩水鴨、雨花石、雲錦が有名であり、近年来、演劇服装、チャイナ伝統服装は全国のマーケットを占めている。

最適な観光シーズン

4〜5月と9〜10月南京の夏は暑すぎる。冬もお勧めできない。
上の期間は最高の季節である。5月中、下旬に梅雨が始まる。秋が一番良い。

明孝陵石像路

明孝陵は明代の開国皇帝朱元璋と皇后の墓であり、

南京地区で建築規模が最も大きい帝王の墓である。

墓の垣根の長さが22.5キロに達する。石像路の前半の両側に石の獣が、

獅子、カイチ(牛に似た神獣)、駱駝、象、麒麟、馬の順に、種毎に4匹いて、

2匹が立っており、2匹がかがんでいる。

石獣の終端に石柱があり、その後には石像があり、文臣武将各四体が両側に立っている。

石像、石獣はすべて一塊の石で彫刻され、明代皇帝墓の石彫刻の名作でる。

 

 

天王府

元々は朱元璋が造った漢王府であり、清代に両江総督署役所になった。

1853年3月、太平軍が南京を都にし、両江総督署役所を改造し、天王府ができあがった。

数ヶ月後に火事で焼かれが、翌年の2月に、再建した。

1864年に、南京が清軍に回復され、湘軍に放火され、中心建築の「金竜殿」と西庭園の石船が保存された。

明故宮遺跡

明故宮遺跡は皇城と宮城があり、皇宮と呼ばれる。

明初の洪武、建文、永楽三朝の54年間宮廷として使われた。

永楽19年、北京に遷都した。以後、零落され、損害も大きくなった。

太平軍と清軍の戦争で、ほとんど破壊され、廃墟になった。

石頭城遺跡

紀元前333年、楚国の威王が越を滅ぼし、呉国の地を占領し、のちに、清涼山に城を造った。

そのとき、紫金山はまだ金陵山と呼ばれており、城も金陵邑と呼ばれていた。

東漢朝の末、孫権が劉備の提案で、京口から秣陵へ遷都し、翌年に、楚国の金陵邑を強化して石頭城を造った。

城壁のねもとは清涼山の天然岩石を利用し、清涼山は石頭山とも呼ばれる為、この城は石頭城と名を付けられた。

石頭城は北西は揚子江に面し、三国時代以来、南北朝まで、水軍の基地として使われ、首都南京の重要な軍事拠点でもあった。

中山陵

中山陵は満清政府を倒した孫文のひつぎを葬した場所である。

主体建築の祭堂と音楽台、光化亭、流徽(木射)、仰止亭、

蔵経楼など記念建築が中山陵の主な景観を構成する。

祭堂の高さは29メートル、長さは30メートル、幅25メートルであり、

中門に孫文の親書「天地正気」の額が飾られている。

中央に、フランスの彫刻家が作った孫文の座像があり、

底座に孫文の革命活動を表現する浮き彫りがある。

 

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