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無錫名園 錫恵公園


錫恵公園

無錫市の西の郊外にある。錫山と恵山の名を合わせて錫恵公園の名になった。
公園も錫山の全てと恵山の東麓及び二つの山を連接する映山湖が含まれている。
恵山は古代は華山、歴山、西照山とも称された。伝説によると、西域の僧恵照が居住していたため、唐代以降、恵山に改称された。
恵山は九峰あり、龍と相似し、故に九龍山とも呼ばれる。山の高さは330メートルで、山上に天下第二泉や、十数の泉がある。
錫山は75メートルの高さである。周、秦時代にスズの産出が盛んだったため、錫山の名を付けられた。
山頂の龍光塔は無錫市の風景の目印である。
錫恵公園の古華山門から園に入ると、恵山寺、寄暢園、天下第二泉へ直接入ることは出来る。
恵山寺は江南の名寺院であり、南北朝に建てられた。清の乾隆皇帝が南下したとき、数回恵山寺を訪れ、肉筆で「恵山寺」の額を書いた。

恵山寺の主な見所は唐、宋の経塔、金剛殿、雪花橋、日月池、御碑亭などである。
古華門の東側へ行くと寄暢園である。
明代の正徳年間、当時の兵部尚書秦金が
解職されたとき、ここに庭園を造り、「風谷行窩」の名を付けた。後に、寄暢園に改称される。
1684年、改築され、中国造園の粋が集められ、完璧な美が造り上げられた。

寄暢園の東部は南北方向に長くのびた池が1つあり、水辺には池を囲む廊下がある。
廊下の中部には六角亭があり、中には石卓、石腰掛けがある。ここで乾隆皇帝と寺の僧とが将棋の勝負をしたといわれている。
廊下の末端には「知魚檻」という方亭があり、観客はここで魚を観賞できる。
池の北側には林が茂り、奥に八音澗があり、天下第二泉の水流が流れこんでいる。
庭園の西側は築山と樹木が主である。太湖石が積み重ねられ、九獅台を成して、いろいろな姿勢の獅子を連想することができる。
寄暢園は恵山九峰、錫山龍光塔と一体になり、庭園建築の中の景色を借りる手法の模範になった。
北京頤和園の中の「諧趣園」は寄暢園を模倣して造られたのである。

天下第二泉は恵山泉、陸子泉とも呼ばれる。この泉は唐代の大暦元年から十二年(紀元766〜777年)の間に掘り開かれた。
中国の茶聖陸羽が、著書「茶経」のなかで、恵山泉を天下第二泉と定めているし、
宋代の徽宗皇帝は、この泉の水を貢品と指定している。
唐、宋以後、著名な詩人の恵山への旅遊を絶えず、または、多くの詩を残したため、天下第二泉の名がますます有名になった。
天下第二泉は上、中、下の三部分に分けられている。
上部の八角形の池の水は最も高級で、カップに水を入れて、それがカップの縁より数ミリ高くても溢れない。水質が甘く重い。
中部の方形池には泉亭が建てられている。
下部の長方形池は宋代に掘り開かれたもので、二泉亭、景徽堂などがあり、明代の観音石、あまりゅうの首がある。
景徽堂に座り、第二泉の水で茶にいれ、周辺の景色を眺めながら、あまりゅうの頭から流出する水の音を聞いていると、
気分は広々として爽やかになる。中国民族楽器の二胡の名曲「二泉映月」はここで作曲された。

二泉亭から北へ上がると、清代の竹炉山房、秋雨堂、雲起楼等の建築がある。
秋雨堂の構造は精巧典雅である。聴松亭も第二泉の近くにあり、亭内には茶色の巨石があり、平坦で滑らかでつやがある。
上は人が横になれるため、石床と称される。その一方に唐代の書道家李陽氷が書いた「聴松」の文字が彫られている。
杜鵑(中国産のツツジ)園は錫景公園の園中園である。
(精巧な構造で造られた軒木射)堂、小橋、奥深い小道とはうまく融合し、その回りを色とりどりのツツジが囲んでいる。
毎年の4、5月にツツジが満開になり、まるで花の海洋のようになる。
錫山頂の龍光塔、龍光寺、山下の龍光洞窟、愚公谷、九龍壁なども観光客を魅了している。
この野外の博物館は、江南の文化の異彩を放っている。

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